Profile

name : NOV(ノブ)
date of birth : 1966/10/11
birthplace : OSAKA
blood type : O
 
PARANOIA、Z-SECTを経て、AIONのボーカリストとして、1990年にインディーズ・アルバム『HUMAN-GRIEFMAN』を発表し、インディーズ・チャート1位を獲得する。同作の全国ツアーのファイナル公演である中野公会堂でのONEMAN LIVEを成功させると、1991年にBMGビクターよりメジャーデビュー。その後メンバーの脱退や復活を経て2003年にアルバム『SISTER』をリリース。
 
その間、1998年にはRock Guitarist屍忌蛇のトリビュートアルバムに参加する。またHeavy Metal Band、VOLCANOに加入。2000年エイベックスよりアルバムをリリースし、ヨーロッパデビューを果たした。
 2007年より、地獄シリーズなる教則本を出版しているメンバー(Drums GO, Bass MASAKI, Guitar 小林信一)で地獄カルテットを結成し活動している。
 
音楽学校MI- JAPANの講師として後進の育成に従事している。

生い立ちと記憶
 
1966年大阪府豊中市で生まれる。
生まれてすぐ玄関から落ち鼻を強打し、そのために鼻が大きくなっていった。
1970年大阪万博に行っている写真はあるのだが、行った記憶はない(外国人が怖くて泣き続けていたらしい)。
1971年幼稚園は名前がクッキングスクールだったが、料理をした記憶はない(外国人の女の子がいて可愛かった記憶がある)。
1973年小学校1年生の時、体育の授業でドッヂボールをしていたのだが、高熱のため担任の先生に休まされようとするも、どうしてもドッヂボールをやり続けたくて担任の先生に砂をかけ、先生の目に砂が入った隙にドッヂボールをやりに戻ったのだが、捕まり怒られた。
朝は必ず授業の開始前に男たちはホウキを持ち、隣のクラスと戦っていた。
1974年小学校2年生の時クラスの女子からバレンタインデーでチョコレートを渡されようとしたが、恥ずかしくて逃げた。「丸い形」をテーマにクレヨンで絵を描き、担任の女性の先生に才能があると褒められたお陰で、姉貴が持っていた電動の鉛筆削りを使わせてもらえるようになった。
1975年小学校3年生の時担任の先生がその小学校で1番身体の大きい男の先生でとても怖かった。そのためか、遠足での集合写真で鼻に指を入れている。そして後にそのせいで、ハナクソマンと言われた時期があった。
1976年小学校4年生の時バレンタインデーでチョコレートを貰った時、相手の同じクラスの女子を意識し始めた。たぶんその女の子が初恋の相手である(恋は実りませんでした)。
1977年小学校5年生の時に親父の車に乗せられ近くのグランドで知らない少年と野球のキャッチボールをやらされ、気がついたらリトルリーグという野球チームに入り、毎週野球が出来る楽しさを味わっていた。頭をボウズにしたため、小学校の女子からモテなくなった。だがバレンタインにチョコレートをくれた女子はノブがボウズになった次の日、ロングヘヤーをショートにし学校に現れた(だけど、恋は実らなかった)。
1978年小学校6年生の時にリトルリーグでレギュラーとなり、関西大会で優勝をした為プロ野球を意識し始めた(後に一度だけ4番バッターに抜擢されたこともあったのだが、打てなかったため5番に降格した)。
1979年中学校1年生の時、小学校6年生の時は背の順で後ろのほうだったのに前から5番目くらいになった。世の中には大きい人が沢山いるんだなぁと感じた(学校外で、野球をやっていたため理科部に入って実験で楽しんでいた)。
1980年中学校2年生の時、体が大きくなるのを見越して大きめの学生服を着ていたのだが、大きくなってくれず担任の先生に「お前ーそれチュウランやろ?(チュウランとは、学ランで少し裾の長めになった規則違反の学生服である)」と耳を掴まれ「正直に言わんかい?」と脅される。この時の担任の名前は浜田。男子生徒は髪の毛が耳に掛かってはいけない規則の中、ロングヘヤーでサングラスをかけながら授業をする社会科の先生であった。何故か社会科の授業中にクイズを始める。今でも覚えているクイズは、5時を指している時計の絵を描いて、「さぁ、これは怪獣やで!なんや?わかるかー?」、答えはゴジラだった。わかるわけがなかった。でも指名され答えられなかったので、グーの拳で頭をグリグリされた。たぶんそれからだろう、、、私がこの様なクイズに答えられるように研究し始めたのは。
この頃、絵の上手いお友達の影響で美術部に移動し、車田正美の「リングにかけろ」の高嶺竜児と剣崎順が上手く描けるために頑張った。
年末には凧を製作し、運動場で飛ばしたのだが、スポーツ部の同級生に邪魔扱いされて、喧嘩になった。
1981年中学校3年生の時、続けていたリトルシニアリーグの退団を機にプロ野球選手の夢を諦め、髪の毛を伸ばし始め、チャリンコを改造し始め、夜な夜な近所の公園でたむろし始め、ハンドボール同好会に入り違うスポーツの快楽を感じ始め、飽きたのでバレー部に入部し、相手のスパイクをブロックするために飛んだら中指を突き指し、身長的に向いていないと感じクラブに行かなくなり、卒業が近づいてきているのに進路なんてどうでも良くて、担任の先生の言われるがままに受験し、夢を持たない少年は、高校生生活を送ろうとしていた。
続く、、、
 

 

 

のか?